京都東山南部 地図
Eエリア 東山を背景に位置する知恩院(ちおんいん)
承安5年(1175年)法然上人がここで布教を始め浄土宗が起こりました。
その後、秀吉や徳川幕府の庇護を受けて発展を遂げたのです。
大晦日に壮厳な音を響かせる大鐘楼、境内入口にある三門はいづれも日本一の大きさ。
また、鶯張り(うぐいすばり)の廊下や白木の棺、三方正面真向の猫などの『知恩院の七不思議』や、
名勝に指定されている方丈庭園など見所がたくさんあります。
通称「祇園さん」の名前で親しまれている八坂神社
ここは厄よけや商売繁盛の神として広く信仰されています。 四条通りを東に突き当たった所に、ドンと立つ朱塗りの楼門は一際目を引き、境内にはいくつもの小さな社があります。 八坂神社界隈は祇園と呼ばれる地域であり、四条通近辺には老舗・伝統産業のお店が並び、 夕暮れになるとネオンが彩りを添え、そんな中昔ながらのお茶屋さんが軒を並べている古いものと新しいものが しっくりと納まっている不思議な空間です。 運がよければ、昼間にはお稽古やお買い物に出かけた舞妓に、夜はお座敷に向かう舞妓や芸子に出会えるかもしれません。
円山公園は明治19年(1886年)に造られた京都で初めての公園です。
約9万㎡の敷地内には野外音楽堂や茶店、料亭が点在し東山の緑を背景に木々の間から寺々の瓦屋根や 坂本龍馬など維新の志士の銅像が見え隠れします。公園中央には池があり、市民の憩いの場となっています。 また、しだれ桜の名所としてその美しさには定評があり、春には大変な賑わいをみせます。
Fエリア 大雲院の中にある祇園閣は、昭和3年に大倉喜八郎によって建てられたものです。
外観は山鉾を模したもので、楼上からは四季折々の趣を見せる東山一帯を一望できます。
豊臣秀吉夫人・北政所(きたのまんどころ)高台院が秀吉の冥福を祈って建立されたのが高台寺。
建立当時、 徳川家康は北政所の歓心を買うために、 財を惜しまず造営を援助したといわれています。 境内には桃山様式の開山堂や傘亭など、秀吉、北政所、千利休ゆかりの重要文化財が数多くあります。 また庭園も素晴らしく、春秋には夜間ライトアップされた境内や庭園を拝観できます。
縁切りと縁結びの両方を兼ねた神社として有名な安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)
境内には「縁切り縁結び碑」という穴の開いた大きな岩があり、表からくぐると縁切り、 裏からくぐると縁結びが叶うといわれています。 また、新旧さまざまな絵馬700点が展示されている「金比羅絵馬館」や、 ガラス張りの床や周囲にガラス工芸品が展示されている「ガラスの部屋」も一見の価値あり。
法観寺八坂塔(ほうかんじやさかのとう)
589年聖徳太子が如意輪観音の夢告により建立した純和様式建築本瓦葺き五重塔です。 その他傘は46mに達し東山一帯のシンボルとされています。 幾度化の火災の末、室町幕府6代将軍足利義利(あしかがよしのり)により再建されたものが今日に至っています。
Gエリア 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)
天暦5年(951年)空也上人が開創して以来、源平両氏の攻防、北条・足利と続く時代の兵火の中心となってきました。 都七福神の中で唯一の女神である弁天様は水を神格化した神で、学問と技芸の神、雄弁と智恵の保護神とされています。 ここの宝物館は質・量共に藤原・鎌倉期の文化財の宝庫でもあります。
清水寺へお越しの際は是非とも二年坂・三年坂を通って。
そして、仁王門、三重塔をゆっくりと通り過ぎて本堂の清水の舞台へ。 清水の舞台からの眺めは素晴らしいものです。 市街の眺望をお楽しみになられた後は、次は清水寺の伽藍が一望できる子安の塔(こやすのとう)へ 足を延ばされるとよいでしょう。それから音羽の滝(おとわのたき)へ。 数千年来沸出する音羽の滝の清水は日本十大名水の筆頭で清水寺の名の起こりでもあります。
清水寺の境内にあって、清水寺の本堂の上方に位置する地主神社(じしゅじんじゃ)
地主神社の神、大国主命(おおくにぬしのみこと)は恋愛良縁の守り神として有名。 あの因幡(いなば)の白兎を助けた心優しい縁結びの神様です。 境内には2つの石がおかれてあり、目をつぶって片方の石からもう片方の石へたどり着ければ恋が成就するという恋占いの石。 ここで恋を占ってみるのもよいでしょう。
Hエリア 「ほうこくさん」、豊国神社(ほうこくじんじゃ)
一般に「ほうこくさん」の呼称で親しまれている豊国神社(ほうこくじんじゃ)は、 慶長3年(1598年)に63歳の生涯を閉じた豊臣秀吉を祭った神社です。 秀吉が朝廷より豊国大明神の神号を受け、社殿が営まれたのが始まり。 桃山建築を代表する唐門や、名工辻与二郎の鉄燈篭は必見です。 境内宝物館には秀吉、秀頼の貴重な史料が展示されています。
京都国立博物館は、寺社に伝わる宝物を受託、保護するために設立された博物館。
世界に3体のロダンの彫刻「考える人」の配された前庭はロココを思わせる造りとなっています。 明治28年(1895年)に建てられた旧陳列館は、フランス・ドリック式建物で重要文化財に指定されています。 全収蔵品は彫刻・仏像など約1万点で、絵画・考古品は定期的に入れ替えて展示されています。
三十三間堂
京都国立博物館の向いにある三十三間堂は、柱と柱の間が33あるところからこう呼ばれ親しまれています。 正式には蓮華王院。 長寛2年(1164年)、後白河法皇の命により平清盛が建てたもので、 京の大火の後、文永3年(1266年)に再建されました。 本堂には二十八部衆立像、風神雷神像などに守られて、大仏師運慶の長男湛慶作の本尊の千手観音座像を 中心に、総数約1000体もの千手観音がずらりと並び、ほの暗い中に輝くその姿は圧巻です。 毎年1月には江戸時代に盛んだった弓の競技、通し矢がおこなわれます。
養源院(ようげんいん)
養源院(ようげんいん)は豊臣秀吉が側室淀君の父浅井長政の菩提寺として 文禄3年(1594年)に創建。 その後火災にあい、淀君の妹で徳川秀忠の妻である崇源院が伏し身性の遺構を移築したのが今の本堂となっています。 この本堂の三方の廊下に張られた「血天井」は、伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が最後に自刃した際の 血痕がついた板の間を天井としたものです。 ほかに鶯張り(うぐいすばり)廊下や、奇抜で新鮮な表現で描かれた俵屋宗達の杉戸絵など見所が数多くあります。
智積院(ちしゃくいん)は、慶長5年(1600年)に再興された真言宗智山派の総本山。
ここで見逃せないのは、華麗な桃山文化を今に伝える数々の障壁画と庭園。 収蔵庫には、長谷川等伯とその門下生が描いた障壁画が集められており、 国宝に指定されているものも多く含まれています。一方、池泉観賞式の庭園は名勝に指定されており、 5月下旬にはツツジやサツキの名所としても有名です。